古いパソコンの中に2002年に書いた浜田省吾さんのコンサートの思い出の記録(データ)がありましたので、少し加筆して紹介させていただきます。
先日のブログ記事「浜田省吾さんとの出会い(1979~1982年)」の続きとして読んでいただければ幸いです。
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初めて行った浜田省吾さんのコンサートはON THE ROAD '83の春のツアー。20歳の時だった。
当時は福岡県北九州市の小倉に住んでいて、たまたま通りがかった繁華街のレコード店でチケットが販売されていた。
購入した7/19小倉市民会館のチケットは1階の17列目だった(今では考えられない)
1曲目は「終わりなき疾走」。ステージ中央には地球のモニュメント。
「今度、海の中道海浜公園で初めて野外コンサートをやるんだ。来てくれるよね。その予行練習で一緒に歌おう」と言って「風を感じて」を大合唱。
訴えるような「僕と彼女と週末に」
最後に省吾さんはステージ上に倒れ込んだ。
この日から省吾さんのコンサートの虜になった。
元は米軍基地で今は国営公園。広い芝生の大広場。
1983年8月13日、海の中道海浜公園で「A PLACE IN THE SUN」という熱い夏を体験した。
約2万人の観客・・・
今ではさいたまスーパーアリーナの観客数とほぼ同じなのだが、当時はこんな人の多さを感じたことがなかった。まるで人の渦だった。
1曲目の「壁にむかって」から缶ビールを片手に全開モードで一緒に歌いまくった。
途中で省吾さんと町支さんがポカリスエットを分け合って飲んだら、会場から「エイズ~」という掛け声がかかり省吾さんは苦笑いをしていた。
国営公園ということで時間の制約が厳しいらしく、最後の方では省吾さんは時間を気にしながら歌っていたようだった。
「この公園の使用時間は決まっていて、僕たちがそのルールを破ると今後この素晴らしい場所でコンサートをやろうとしているアーティスト達に迷惑がかかるから」
そう言って最後の「MIDNIGHT BLUE TRAIN」が歌われた。
後で知ったことだがアンコールが2曲ほどカットされたみたいだった。
それでも省吾さんが今でも素晴らしいコンサートだったというとおり、夢のような時間だった。
コンサートの終演後、音楽とビールに酔った私は「浜省のファンは大人だからね」と言いながら客席のゴミを拾い始めた。
本当は一緒にコンサートに行った仲間達への受け狙いの酔っぱらいのパフォーマンスだったが、周りの観客が拍手をしてくれたので途中でやめれなくなった(汗)
83年の秋のツアーは熊本市民会館(11/11)に参加した。
全ツアー終了後、音楽雑誌に他会場でのレポート記事が掲載された。
内容は確かこういうことだった。
今回のツアーはファンに対して、海の中道が成功したことのお礼が含まれているステージだった。それは省吾さん本人が大切にしている3曲がセットリストに入っていること。
「路地裏の少年」思い出のデビュー曲
「MIDNIGHT BLUE TRAIN」一番つらい時期に書いた曲
「ラスト・ダンス」売れない頃に唯一ファンと一緒に歌えた曲
この記事を読んで、どうして省吾さんのコンサートでここという場面でこの3曲が演奏されるのか、自分の中で整理と理解ができた。
「Down By The Mainstreet」・・・このアルバムがなかったら省吾さんの今のコンサートはどうなっているのだろう?
そのアルバムを引っさげてのON THE ROAD '84は、小倉の九州厚生年金会館(12/18)へ参加した。
オープニングは「愛の世代の前に」。イントロのギターがいきなりかき鳴らされた。
1985年7月27~28日、吉田拓郎さんのオールナイトコンサート「ONE LAST NIGHT in つま恋」に参加した。
深夜のゲストがいろいろ来ていたコーナーで、拓郎さんは「次は愛奴」と省吾さんや町支さん達を招き込んだ。
(ギターの青山徹さんは当時拓郎さんのバックバンドとして活動していた)
突然の出来事に驚いた。
会場からは怒涛のような「省吾!歌え!」コール。
もちろん私も声の限り叫んだ。
愛奴の演奏で拓郎さんが「ひらひら」や「野の仏」などを歌っただけで終わったが、省吾さんの「ワン・ツー・スリー・フォー」というドラムでのカウントの声が夜空に響いた。
ON THE ROAD '85ではアンコールでマイクスタンドが一列に並べられ、メンバー全員が楽しそうに「MIRROR~A THOUSAND NIGHTS」を歌っていた(11/12九州厚生年金会館)
そしてON THE ROAD '86のJ.BOYツアー。これも9/9九州厚生年金会館に参加した。
2枚組のアルバムのリリース後ということで長時間のコンサートになるのかな?と思っていたら、予想どおり2部制のステージだった。
ただ私は音楽の専門家ではないのでうまく説明はできないが、ツアーが始まってまだ2箇所目だったせいか歌や演奏がぎこちなく感じられ、省吾さん達がこのアルバムの曲たちをまだ自分のものにできていない気がした。
J.BOYツアーも全国各地をまわり終盤を迎えた翌年1月、前回観たステージに少しモヤモヤ感が残っていたので、もう一度と思い福岡国際センターへ出かけることにした(1987/1/26)
チケットはすでに発売されていたので購入できたのは立見席だったが、実際にはステージの真横か、バックステージへと案内された。
私はバックステージ席に座り、省吾さんの左後頭部を見ながらのステージとなった。
コンサートの中盤で、省吾さんは私たちの座っているバックステージを指さし「昔武道館に外国のアーティストを観に行ったとき席はそのあたりだったんだよ。そこに座っている君たちの気持ちは良くわかる(笑)」と言って、こちらに向かって歌ってくれた。
また座ったまま省吾さんの歌を聴くことができたし、盛り上がる曲の時だけ立ち上がれば良かったのですごく楽だった。
ステージを降りた後も、普通の席からは見えない裏側の通路で、こちらに向かって手を振ってくれた。
今回のステージは昨年9月の時に比べて完成度がかなり高くなっていたように感じた。
「J.BOY」の演奏と歌が怒涛のように押し寄せてきた。
コンサートの内容に素直に納得できた。帰り道が心地よかった。
(後編へ続く)