浜田省吾

100日続ける省吾さんに関する思い出話 ①

 

X(旧Twitter)にて浜田省吾さんに関する思い出話を100日間続けるという企画を始めました。
このブログではその投稿を5日ごとに取りまとめて紹介したいと思います。
よろしければゆるりとお付き合いください。

 

【1日目】 2024年8月21日

ON THE ROAD 2023の有明公演が省吾さんのインフルエンザで中止(延期)になったように長い間コンサートに参加しているとそういう出来事に度々遭遇する。私は1993の熊本公演、2016の福岡公演の2回(3公演)あった。

1993年11月15日,16日 熊本市民会館で2daysが開催される予定だった。私は幸運にも両日ともチケットが確保できた。初日はいつものように省吾さん達の熱い演奏で盛り上がったステージとなった。

2日目も仕事後に勇んで会場に出かけたところ省吾さんの体調不良により本日中止と会場入口のガラスに貼られてあった。まだネットなどが普及していない時代だったので会場まで行かないとわからなかった。仕方ないのでその日は友人と居酒屋で飲んでトボトボと帰った。

振替公演はツアー最終日として翌94年の3月14日に行われた。省吾さんは前日に長崎で泉谷しげるさん提唱の普賢岳救済コンサートにスーパーバンドの一員として参加していた。「泉谷さんから打ち上げにしつこく誘われたんだけどこの熊本をまた飛ばすわけにはいかないから断った」そう笑いながらいつも以上の熱いステージを観せてくれた。

アンコール最後の「最後のキス」が終わったあと省吾さんは再び一人でステージに現れた。「売れない頃に町支と二人でギターを抱えてコンサートの移動をしていた。この曲は熊本から夜行列車で鹿児島に向かう途中に書いた曲なんだ。コンサートを延期してごめんね」そう言って「MIDNIGHT BLUE TRAIN」がギター1本で演奏された。一緒に歌いながら涙が滲んだ。省吾さんのファンを大切にする気持ちがありがたかった。私自身この時以上のMIDNIGHT BLUE TRAINには未だ出会っていない。

ちなみに2016のアリーナツアーではMIDNIGHT BLUE TRAINが歌わる前に駅のホームでの小芝居があり皆んなの笑いを誘っていたが、私はこの時の思い出があるので省吾さんと町支さんのやり取りを観ながら号泣していた。

 

 

【2日目】 2024年8月22日

2016年11月4日(金)夜

明日からON THE ROAD 2016の福岡公演。仕事が終わり餃子屋さんでビールを飲んでいると友人からLINEで悲しいお知らせ。省吾さんが急病のため福岡公演は中止とのこと… コンサートの前夜祭が残念会になってしまった。ただその時に脳裏をよぎったのは省吾さんの身体に万一ということはないよねということだった。その後の横浜アリーナは無事に開催されホッと胸をなでおろした。

2016年11月5日、6日に予定されていたマリンメッセ福岡でのコンサートは翌年の4月26日、27日に振替公演が決定。ツアー最終日となった。ただ土日開催が平日になったことで遠征を予定していたファンからは不満の声が上がっていた。省吾さんの事務所からはマリンメッセ福岡の土日のスケジュールを抑えるには数年前に申し込まないといけない、また最短でもこの日しか取れないのでご理解をいただきたいという説明があった。

私は両日参加したのだが、初日はステージサイドで天井がすぐそこという座席。ステージを右真横から見おろす位置だった。ふとステージ上の照明等を吊るすトラス(鉄骨)を見るとミラーボールが仕込まれてあった。今回のツアーは他の会場で既に数回観ていたのでミラーボールで演出する曲はないというのがわかっている。ということは… と期待したが、その日はセットリスト通り「家路」でコンサートが終了したのだった。

※ちょっと長くなったので続きは3日目へ

 

 

【3日目】 2024年8月23日

2017年4月27日、マリンメッセ福岡2日目。省吾さんのツアー最終日、そして振替公演。昨日ミラーボールも見てしまった。否が応でも期待をしてしまう。入口で座席指定券を引き換えてスタンドの座席に着く。

コンサートはいつものように熱いステージで盛り上がり、第1部、第2部、そして数度のアンコールが家路で締められた。普通ならばここで終了だが観客のアンコールを促す拍手が続く。

さぁいよいよ特別なあの曲だなという妙な緊張で胸が高まる。省吾さんとメンバーが再びステージに登場。大きな歓声が湧き起こる。ステージ上からミラーボールがおりてくる。バンドメンバーが自分の持ち場につこうとしている時にいきなり省吾さんがギター1本で歌い始めた。

「海が見えたら起こしてあげるから…」まさかのサイドシートの影。嬉し過ぎる誤算。一緒に口ずさんでいるファンも多かった。

そしてこの曲が終わるとイントロと同時にミラーボールが回り出しラスト・ダンスが始まった。会場がまるで別世界のようにキラキラとミラーボールで照らされる。皆んなに任せたという省吾さんの仕草を受けて「もう一度踊っておくれ」と観客のみでサビの大合唱。万雷の拍手の中4時間近くにわたって演奏されたコンサートは終了した。

満足を通り越して最後は放心状態。
振替公演とツアー最終日が織りなした最高に素敵な一夜だった。

 

 

【4日目】 2024年8月24日

私が初めて省吾さんのコンサートに参加したのは1983年7月19日、ON THE ROAD 83 春のツアー、北九州の小倉市民会館だった。

魚町銀天街のアーケードの中にある松田楽器店でチケットを買ったのを覚えている。発売当日でもなかったのに1階の17列目くらいの座席。今では考えられない。

ライブの1曲目は終わりなき疾走。この時に稲妻が体を駆け抜けてしまい、その後41年間コンサートに通い続けることになった 

残念ながらこの時のチケット半券が行方不明。捨ててはいないと思うんだけどな…

ただパンフレットは段ボール箱の中にしまってあった。改めて見るとこの頃のパンフレットって写真集みたいなものだったよね。ステージ上の楽器などの配置図が載っていたのは何か良かったな。

 

 

【5日目】 2024年8月25日

83春のツアーに参加した時、省吾さんが「今度海の中道という大きな公園で野外コンサートをやるんだ。皆んな来てくれるよね」というMCがあった。

「その予行練習として皆んなで歌おう。半分からこっちはIt's so easy、こっちは走り出せよと町支と一緒に歌って」と風を感じての大合唱が行われた(もちろん海の中道の当日も会場を半分にわけての大合唱があった)

確かこのコンサートの後すぐに海の中道のチケット発売があったんじゃないかな(一週間後くらい?)ヤマハ小倉店のプレイガイドに早朝から並んでチケットを買ったな。

小倉でのコンサートが7月19日、8月13日には海の中道の野外。初めて省吾さんのコンサートに参加してからバタバタの出来事だったけど今思うと本当に運と巡り合わせが良かったと実感している。

 

 

100日続ける省吾さんに関する思い出話①
1〜5日目(2024年8月21〜25日)

 

ユルイ
いよいよON THE ROAD 2023の映像作品の発売が近づいてきましたね
私は初回限定の完全生産限定盤(ブルーレイ)を予約済。9月4日に届くのが楽しみです!

 

-浜田省吾