X(旧Twitter)にて浜田省吾さんに関する思い出話を100日間続けるという企画を行なっています。
このブログではその投稿を5日ごとに取りまとめて紹介しています。
【26日目】 2024年9月15日
あとシンプジャーナル1985年10月号には吉田拓郎さんのONE LAST NIGHT in つま恋 に関わった42人のミュージャンなどの言葉も掲載されていた。
愛奴からはベースの高橋さん(現ロースカ社長)と省吾さんの声が掲載されていたので抜粋して紹介します ↓
【高橋信彦】
●つま恋3日前
「リハーサルは4時間やりました。それ以上やってもダメなものはダメだろうと(笑) あれ以来初めてですね。拓郎さんと愛奴の5人が全員で集まったのは。もうノリが全てね、リハーサルの感じから、諸注意、拓郎さんの冗談まで同じだった(笑) もう、11年前のまんま(笑)
浜田は… 手はどうにかなるんですけどね、足が… バスドラが入るとどーも… これも11年前と同じなんですけど(笑)
僕?僕は… あのー『シンシア』 やるんだけど、あれ、コード少ないけどコロコロ変わって結構シンドイんですね。で、いつも拓郎さんに怒られてたんだけど… もう恐くて(笑)」
●つま恋3日後
「(高橋さん、音、小さかったような気が… と言うと)モニターは出てたんだけどなあ…
あ、浜田と(電話を)代わります。ちょっと待って下さい」
【 浜田省吾】
「実際に演るまでは、“ワー、シンドイなあ”とか思っていたのね。でもステージの上に上がって、ドラムセットに座って拓郎さんや青山、町支、高橋とかの背中見たら、無性にうれしくなって… 11年ぶりだもんね。
拓郎さん、あの時も話してたけど随分アガってた。あとで青山に聞いたら3曲共カポ間違ってたんだって(笑) 「野の仏」に入る前も2枚まとめて譜面落としちゃってあわててたりね。で、そういう拓郎さんを青山が叱るんだよね、ステージの上で。『拓郎さん!』とかさ(笑) ホントいい関係だね、拓郎さんと青山って。親分・子分の関係を通り越して、もうほとんど親子だね、“分” が取れて(笑)
でも、すごく楽しかった。いい人間に囲まれて拓郎さんて幸せだなと思ったし、そういう素敵な人間なんだよね、吉田拓郎という人は」
【27日目】 2024年9月16日
吉田拓郎さんのONE LAST NIGHT in つま恋に出演後の省吾さんのコメントは浜田省吾事典にも掲載されていました。
年鑑(biography)の1985年のところを抜粋して紹介します ↓
●“つま恋”は緊張しましたねえ、久々に (笑)。85年は自分のツアーもはじまってて、ガンガンやってる最中でしたから、ステージに上る緊張感っていうのはそんなになかったけど、慣れないドラムを叩く。まるでアマチュアのときのように(笑)
3曲ともシンプルだけどけっこう難しい曲なんですよ。 「シンシア」、「野の仏」、「ひらひら」かな。「ひらひら」は少し弾んだ8ビートで。噂では、拓郎さんが引退するということだったんですよ。信じてなかったですけど(笑)
でももし、ホントにそうであるならば、最初にチャンスを与えてくれた人だし、僕のひどいドラムに1年間つきあってくれた人だし、まあ文句は言われたけど(笑)、傷つくようなことは言われませんでしたし。それより、あのひどいドラムに1年間。何度も言いますが(笑)、やっぱり絆みたいなものを感じてますから。彼が感じてるかどうかわかりませんけど(笑)、 僕の方は僕の人生のなかの少年時代の1頁だから。当然出なきゃいけないし、喜んでって感じでしたよね。でも、やっぱり緊張しました。
【28日目】 2024年9月17日
省吾さんが吉田拓郎さんのデビュー曲「イメージの詩」のカバーしたのも驚きでしたね。
私の偏見で申し訳ないけど、愛奴が拓郎さんのバックバンドに参加していたのはわずか1年ほど、また省吾さんがドラム演奏で間違うたびに拓郎さんが睨んでいたと昔何かの雑誌で読んだ覚えがあったので、もしかしたら喧嘩別れ?お互いに犬猿の仲?と勝手に思い込んでいたところもありました(苦笑)
しかし1985年のつま恋オールナイトコンサートでは一緒に楽しそうに演奏をしているし、1997年には拓郎さんの50歳を祝ってイメージの詩をシングル発売 ミュージックビデオを観てもお互いに凄く嬉しそうだし、省吾さんが拓郎さんの肩に手をかけるシーンは仲の良さや信頼感を感じてしまいますね。私の偏見は全くの杞憂でした(すみません)
あと演奏の途中で省吾さんが吹いているハーモニカをキーの違うものにサッと変えるところがカッコ良過ぎます!
【29日目】 2024年9月18日
私が個人的に衝撃だったのはやっぱり1986年9月4日に発売されたアルバムJ.BOY。
当時のLP盤って2枚組といえば大体ベストかライブ盤だったのでオリジナルで2枚組は凄いな、省吾さん勢いがあるというか精力的に曲作りに取り組んでいるんだなと思った。
そして収録曲を聴いてさらに衝撃。路地裏の少年に21歳の3番があったのを初めて知ったし、反戦反核や日本人ということをテーマに持ったそれぞれの楽曲に聴き入った。
このJ.BOYの発売と同時に始まるコンサートツアーは一体どうなるのだろう? 期待と併せて未知の世界に足を踏み込むような気持ちでいたのを覚えてる。
【30日目】 2024年9月19日
ON THE ROAD '86 "I'm a J.BOY"
私は1986年9月10日の小倉・九州厚生年金会館と翌年1月26日の福岡国際センターに参加しました。
小倉公演はまだJ.BOYが発売されたばかりでツアー2箇所目だった。ステージは初めての2部制で省吾さん達はいつも通りの熱い演奏を観せてくれた。ただ自分自身がまだニューアルバムの曲を消化できておらず、セットリストも新曲が数多く並んでいたため目の前の展開に若干ついて行けず取り残されているような感じだった。
このライブで少しモヤモヤ感が残ったので翌年の福岡国際センターにも参加することにした。
チケットは既にプレイガイドで発売されていたので座席は立見。ただし観客席の後ろではなくステージサイドか斜め後ろのエリアに自由に座って良いということだった(画像のピンクの網かけ部分)
私のチケットは西側2Fと書いてあったが実際には立見エリアならどこに座っても良かったので東側の斜め後ろから省吾さんの左後頭部を見ながらのコンサートとなった(★印付近)
ステージの中盤で省吾さんは私たちの座っている後方を振り返りながら「昔武道館に外国のアーティストを観に行ったんだけど座席はそのあたりだったんだよね。そこに座っている君たちの気持ちは良くわかる(笑)」と言ってこちらを向いて歌ってくれた。
また左右ガラガラでゆっくり座って省吾さんの歌を聴くことができたし、盛り上がる曲の時だけ立ち上がれば良かったのですごく楽な席だった。メンバーがステージを降りた後も普通の客席からは見えない裏側の通路からこちらに向かって手を振ってくれた。
福岡公演は昨年9月に比べて新しいアルバムを聴き込んでいたせいかかなり気持ち的にも盛り上がった。またJ.BOYの演奏の時には観客の拳が一斉にこちらに押し寄せてくるような迫力だった。もちろんコンサートは大満足。自宅へ帰る足取りも軽やかだった。
100日続ける省吾さんに関する思い出話⑥
26〜30日目(2024年9月15〜19日)
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